自分の選択であることを知るメリット

じぶんぢから再生プロジェクト ゲンキポリタン
株式会社マートワン

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【38】自分の選択であることを知るメリット
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貧しい環境に育ったとして、自分は運命の犠牲者だと考えることも、運命の主人公だと考えるのも、自分の選択であり、自分の判断です。
私たちは、何事においても、ことの意味は状況によって決定されるのではなく、自分が状況に意味を与えているにすぎません。
つまり、どんなことが起こっても、自分の人生を支配するものは、どこか他の場所にあるわけではなく、自分の手許にあるということです。



自分の行動が、自らの選択によるものである認識が弱いと、瑞々しい感覚は次第に薄れていきます。
誰の指示で動いているのか、あるいは誰の期待があるのかも、意識が薄れます。
大局観では、なにごとも、もともと自分の選択ですから、自分以外に誰か存在しているわけではありません。
それにもかかわらず、自らの選択である意識が希薄な状態は、目的が見失われたことを物語っています。
こういう状態はモチベーション云々以前の問題が露呈したもので、惰性で行動しているだけです。


これは特別なひとだけの状況でなく多くのひとに見受けられる状態で、主体性の混乱はストレスを作り出し、次のような態度や行動になって露出します。



 ストレス、疲労感への耐久力が弱い
 状況をコントロールする上で無力感を感じやすい
 責任を果たすことをイヤなことだと思い込んでいる
 なにかにつけ他の要因や他人のせいにしやすい
 このままでは達成できないと感じていても、事前に調整や変更をしない
 達成を妨げる行為をしても正当化して、反省しない
 軽薄な行動したり、悪い習慣を繰り返したりして、達成を考えない行動をとる
 他人の欲求を優先して行動しがち。



これらは、自己実現や目標達成を妨害する態度や行動で、どれをとっても原因を自分以外に求めすぎる傾向にあります。
自分を自分で引き受けようとしないこれらの悪影響として、自分でも気がつきにくい間違いのひとつが、先に説明した時間を支配することができなくなることです。



“忙しい“が、口癖のひとは言うだけあって、自分でも「忙しい、時間がない」と本気で思い、本当に忙しく走り回ります。

それにしても、主体性をもって時間の使い方を工夫しているとその状況は変えられるものです。
たとえば「最も重要なことに集中するように、時間をこまぎれにしないで、まとめる。」と効率よくなります。



そのコツは、
 優先順位をつけて、まず最も重要なことを選択する。
 多くの時間がとれるように、調整をする。
 集中できるように調整する



その実現には、
 問題を「重要〜重要でない」をいく通りかに分け、優先度を決める
 なにが正しいのかはっきりして、目的を明らかにする
 どうすれば実行が確実に行えるか、考えを整理しまとめる
少なくともこれだけのことを先に決定します。



仕事は作業の固まりであり、作業は動作の固まりです。
仕事の結果を変えるには、動作単位で工夫して変化することは欠かせませんが、
ひとつの工夫から始まる、より細かな工夫は、主体性を取り戻すだけに終わない効果をもたらします。
工夫を通して、自分の力が深く自分の内の隅々にまで浸透していくことが分かります。
血液や細胞が体内の隅々で活躍して自分を支えているのに似ています。
それはまさしく自分であり、自分らしさであり、自分以外の何ものでもない。



「工夫」は見方を変えると「面倒くさい」に他なりません。
省きたくなるのも、こだわるのも自分の選択と判断なのです。
時間の使い方の間違いは、この選択の機会さえも省いてしまうのです。



責任をいやなものだと思い込んだ前提にした依存的な生き方の欠点は、時間を失うやり方によって、責任の所在を曖昧にし、自分の手許にあるはずの自分の人生を手放してしまうことです。


人生は予期せぬ出来事や誘惑の連続ですが、自分の選択を意識して、行動をコントロールする意欲があれば、人生を手放すことなく望む方向へ変えていけるものです。
船長が舵を操作しながら航海していく姿と似ています。
波風に似て、意欲は揺れ動く瞬間の連続です。
ひとは感情の動物ですから、気分は変化するものです。だからこそ目標を持たないとどこに行ってしまうか分らない。その上、刻々と変わる気分の生き物です。
意欲的な瞬間はうまく使うと次の意欲の瞬間を創出するし、反対もあり得ます。
意欲的な瞬間を上手につないでいくマネジメントが舵取りの醍醐味です。
考え方、感じ方、態度、行動を自分がコントロールすることは、思い通りにならない自分を自分が支配することに他なりません。
その醍醐味は、自分の選択によってもたらされたと知ることで、次の瞬間もそうしたい欲求へつながります。


瞬間を連鎖させて、習慣レベルに高めるほど、自分が自分をマネジメント&コントロールをしている実感は確かなものになります。
その感触は、他の何ものにも代え難く、生きている実感の強い、リアルな体験です。
自分の人生に、自分が主体性を持っているのですから、楽しくないはずがありません。その楽しさは、自分のやり方、生き方となり、より確かな自分を形づくります。



 このような状況と実感を手に入れるには、もうどうあがいても、自分には歯が立たないと実感するまでやり抜くことしかないのかも知れません。
しかし、たいていのひとは、そう想像するだけで、現実的でないような気になり、乗り気でなくなります。
そして、もっと頭を使えばなんとかなるのではないかと考えます。



 しかし、現実は、どうあがいても、自分には歯が立たないと実感するまでやり抜かないと知恵という知恵は出し切れないものです。
 時には、これが正解ですと言えるものなどないのに、他者の体験を聴いたことを正解として、経験を真似してみようとします。
しかし、他者の成功は、自分には歯が立たないと実感の過程にあるもので、その体験は唯一のもです。体験は経験と違い、経験を真似したところで他者の体験が再現できるわけではないので、そこには正解はありません。結局失望感だけが強まります。



こどもの頃は、いまこの瞬間を楽しむ名人でした。
あがいてもあがいてもどうにもならないことを、どうにかしようと、企みを企みと思うこともなく、行動する名人でした。
体験することで学んで成長して来たのです。


 こどもは急に走り出します。親はそれを見て、「危ないから走らないで!」と注意します。するとこどもはつまずき転んでしまいます。
親はやっぱりと思いますが、こどもが転んだのは、親の制止の声によって転んだのです。
こどもは情報不足なので、複合的な情報処理が苦手です。
しかし成人したいま、内から聞こえてくる「危ないから走らないで!」の制止の声は障害でしかない場合が少なくないのです。


その声が障害か、障害でないのか、その選択は自分の直感と情報処理で自分ができます。
おとなになったいまでは、「危ないから走らないで!」よりも、「止まらずに走り続けて!」という声の方が自分を守る上で重要なのかも知れません。
9.11のときに先生が生徒を守るために、必死になって大声でかけ続けた言葉がそうでした。



責任を引き受けて、意欲的な瞬間を上手につないでいくマネジメントの中心的な作業は、いまこの瞬間の目標を達成することです。
 それは「具体的な目標達成の6つのステップ」と「ライフスキルの獲得」の達成を目標にしたプロセスの繰り返しです。


「具体的な目標達成の6つのステップ」のプロセスに注目するとは、ひとの気持ちはやる気になったり、沈んだり、瞬間、瞬間で変わるので、ステップ4かと思うとステップ1に変わっていたということが刻々と生じている。
その事実から目を離すことなく、自分をマネジメントするということです。
目標は数値目標もあるけれど、その達成を通して同時に「ライフスキルの獲得」も目標にしているので、数値だけ達成できればOKではなく、働き方、生き方として、その態度に注目する。


そのために7つのゴールデンルールを用意してあるわけで、どれかひとつでいいので、ルールを守って実行しているかに注目する。
この2つのテーマから脱線しないように注目していたらどうなるかというと、自分のスタイルが出来上がって行きます。
 プロセスに注目して、必要な打ち手を必要なときに打っていると、漫然と生きていない自分を感じるので自分への信頼感が高まり、スタイルを支えます。



 同時にコントロールの大変さも認識します。
何事もやればできる期待とその裏返しの失望への不安を向こうに、自分の責任を果たす、つまり一日の目標を達成するために、自分がやれることは全部やり尽くすことの大変さによって充実を自分のものにします。
瞬間を積み重ねた時間の累計によって迎える一日の終わりには、スタイルの進化と共に唯一無二の心地よい疲労をもたらします。
誰のものとも比較のしょうのない心地よい疲労は脳に活路を開き、身体に反応を習慣化します。
それこそが最大の成功といえますが、さらに重要な意識の恵みを受け取ります。



やってみたら、こんなに面白いことは、どこに行ってもあるものではない。自分の身近に、しかも毎日あると知ったら、なぜいままで手もつけずにおいて、わざわざ遠くにまで面白いこと探しに行ったのか、バカバカしさに目を白黒させて驚くしかない。
こどもの頃の、いまこの瞬間を楽しむ名人に戻った気がします。


比較のしょうのない心地よい疲労は無意味で無用な熱病まがいの敵対心を消し去ります。
自分の責任を果たすことに躍起になっていると、自分のする範囲を意識することになり、自分と他者の境界を意識せずにはいられません。
それが他者肯定の意識が強まるきっかけになり、自他肯定の構えが出来ていきます。
自他肯定の構えとは、自分はOK、他者もOK。
ひとは、ぞれぞれに、みんなOK。という考えです。
「和して同せず」の感覚です。
人と争うことなく仲良くはするけれど、自分の意見をしっかり持って、いたずらに調子を合わせたり、妥協するようなことはしません。
それは自分もそうだけど、他者もそうあることが好ましいとする考え方です。
意見は意見、意見が違ったからといって、相手を尊重する精神に変わりはない。というものです。
この態度を自分にも適用しますので、どのような場面でも自尊感情を失ったり、弱めたりしません。
つまり自暴自棄にならず、根よく行動を重ねて行きます。


考えは感情に働きかけます。
良い感情は良い考えを生み、良い連鎖がうまれます。
これによって自他ともに良いコミュケーションがとれるようになります。
このような感覚と事実は他から手に入れようのないものです。



目標達成のプロセスSTEP.2で留まっている人、STEP.4やSTEP.5まで進みながらも、再びSTEP.2に戻ってしまう人は、自分で自分の人生をコントロールしている実感に向き合い、責任の楽しさに目を転じてみるのがおすすめです。


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