結果は偶然ではなく、自分が選んだ結果

じぶんぢから再生プロジェクト ゲンキポリタン
株式会社マートワン

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【36】結果は偶然ではなく、自分が選んだ結果
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

メディアのなかでもテレビは非常にカジュアルな媒体です。
インターネットも同様ですが、特にテレビは視聴率をあげるために視聴者の感情をコントロールしようとしています。
情報がどんどんカジュアルになっていくメリットを享受する反面、デメリットも多く受けています。
このような媒体はカジュアルな分、使用する側のコントロールスキル次第で上手に使いこなせますが、ヘタに使うと知性を弱める危険があります。
その点でも二極化が著しく、上手なひとは「調査」のひとつとして使いこなしていますが、ヘタなひとは、鵜呑みにしてコントロールされてしまっているようです。
 その影響も加わって、自己抑制力が乏しくすぐに感情的になり、自分を律することができないひとが増える傾向にあるようです。
一見無関係に見えますが、「オレオレ詐欺」のようなことが通用するのは、世界広しとえいえども日本ぐらいです。
なぜなら「なんとか工面してくれ」「支払いなさい」と電話して来ても、「自分で責任を果たせ」と言って取り合わないのが普通だからです。
 「自分の頭で考えようとしない」「境界がない」傾向は恐ろしいくらいで、コントロールするスキルの低下は無意識の内に結果への責任放棄にもつながっています。


 朝目覚めてから、眠りにつくまで、ひとの暮らしは選択の連続であり、選択によって人生はどんどん変化していきます。
選択には「我慢」がついて回るものですが、選択という行為に「感情的な行動」が入り込むと分別が損なわれるのは必至です。
それまで培った知性は一気に意味を失います。


感情的な行動が「選択」に入り込むのは、そのときの気分ですから、難易度は無関係です。しかし小さなことに感情的な行動が入り込むことを許していると、難易度の高い選択、たいてい重要な選択ですが、その場合にもその習慣化された態度が影響します。


「選択の条件」はシンプルです。
たとえば成功するための選択はどうでしょうか、やはりシンプルです。
自分が責任を果たすには、どうすれば達成できるか、成功の条件を実行するだけです。

次の図を観ると分かるように、どちらの選択をいくら繰り返しても、成功の条件が変わることはありません。
できないひとは、行動を変えない限り結果は変わりません。
どうすればいいのかを知っていること。あるいは知ることができる方法を実行するだけです。

次の図は、選択の構造です。



私たちは、どうしていいのか判らないを問題視しますが、この図を見れば「分らない」は、さほど重要な問題にないことが分かります。
トライ&エラーを繰り返すほど、学習して分かってくるからです。
実行して学ぶか、人に聴く、観察する、学習機会を多く持って学べばいいのです。


 その間、努力のわりに成果が出ないことはあります。
努力しても、努力しても成果がでない時は神経が疲労します。
そのときは辛抱がいります。
(努力と成果の関係は【怖くなって集中をやめていないか】で説明します)
とってもつらく不安になることもあるでしょう。


でも感情の処理方法を間違わずに、正解がすぐに見つからなくても、あきらめずにトライ&エラーを繰り返せば力がついてきます。
安直にマニュアルを求めて、手に入らないからと感情的になって途中で放棄していると、衰退一直線のサイクルに入り込みます。



もうひとつの選択があります。
理由をつけて実行しない選択があります。
シンプルなことをYES,BUT,IFの単語をつないで複雑にします。

「その通り、それにしても○○○○○で出来ないんですよ。
             もし○○○○○だったらできるのに。」


この考え方を使う限り、実行がないので失敗もない代わり、学ぶ機会もありません。
知っていることをしない、知らないことはできないので、「どうしていいのか判らない」という状態を構造的に作ってしまいます。
失敗を避けるのは悪いことでありませんが、極度に避けることで、大失敗の構造を作っているのです。
それは決定的に自分から自信を奪う選択です。
外に出たら交通事故に会うかもしれない、強盗に襲われるかも知れない。
内にいたら安全だと考えていたら、車が激突して家が壊れて下敷きになった。というのと似ています。


この選択をする人に、負の連鎖の危険をいくら説明してもなかなか改善がみられません。
なぜなら行動しないので、失敗の実感がないからです。
失敗の実感がないとは、自分が失敗していないと思っているだけ、よりひどい失敗をしていることも少なくありません。

図にある「成功の条件」を「自分の習慣」と置き変えると、個人が日常で繰り返しているスタイルになり、私たちの日常は、この図の繰り返しといえます。
たいていのことは、どうしていいのか知っています。
そのほとんどは、子ども時代に学んでいて、親の物真似と、自分が集めたデータベースを基礎にして、無意識に繰りかえしで身につけたものです。


成功の条件を習慣にしていない場合や、成長したい、変化したいと思った時には、「習慣」を書き換えます。
それにしても、意識できるのは氷山の一角ですから、自分の意図にふさわしい書き換えがすべてできることはありません。
暮らしのうちの大半はどうでもいいことが多いので、重要なことさえ書き換えると基準の書き換えはできます。



習慣の設定は難しくはありませんが、そこで私たちがよくやってしまう間違いがあります。

新しいことに関心を持つけれど、以前からのことをそのままにするため、するべきことがどんどん増えてしまうことです。
することが多くて、たいていはよい習慣に関係のないことに時間を費やし、結果は以前と何も変わっていない状態になります。
さらに、それがストレスの原因になって返ってきます。
それを数多く経験するほど、YES(その通り),BUT(しかし),IF(もし)の文法を使うようになりがちなので注意しましょう。



ひとは誰でも1日に使えるのは24時間です。しかも必ず終焉の時が来ます。
するべきことがどんどん増えたら、どこにも辿り着かなくなり、自分でも何をしているか分からなくなりがちです。
そこで、取捨選択が大事になります。
つまり新しいことが入って来たら、等しい量を必ずしないようにすることです。
それにしても、それだけでは解決しません。
さらに優先順位の入れ替えが必要です。
優先順位によって、1日に使える24時間の時間配分を変えるのです。
(優先順位の説明は◆「目標設定フォローの原則」を参照してください。)



このときにYES(その通り)、BUT(しかし)、IF(もし)の文法を使わないようにします。
使う時には、たいていやってみたい欲求と安全の欲求が激突しています。
誰だって失敗はいやです。
失敗によって自分が持つものを失うだけでなく、精神的なダメージも計り知れません。



かといって、それにこだわっていると自分の責任を果たせなくなります。

自分の責任とはどういう責任なのか。
仕事、子育てなど分かりやすい責任もありますが、もっと根源的な責任があります。
いまの時代は価値観を失った時代とも言われます。
「食えたらいい」を基準にした生き方もあります。
それにしても、悲しいかな、人間は自己愛や家族愛だけで幸福にはなれません。
人間には共同体との間で承認や愛が必要なのです。
だからこそひとを人間と言いますし、それゆえ傷つきます。失敗を恐れます。



責任を果たすには、果たせる選択をしないと、果たせません。
YES(その通り)、BUT(しかし)、IF(もし)の文法を使っていては果たせる責任も果たせません。
理屈を説明すると誰でも分かってくれます。
その誰でもが一応の理解を示すことが、実際になかなかできないのは、個人の感情が感情的な行動に発展してしまうからです。
しんどいな、いやだなと思うことは、個人の感情なので尊重します。
表現してもいいのです。
でも、それが感情的な行動となってしまうと事情が違うので、気をつけましょう。

一日は、刻々の瞬間、瞬間の選択の繰り返しです。
結果は偶然ではなく、自分の選択の結果です。
自分が選択していることを意識したいものです。


自分の行動は自分の選択によるもので、結果も自分が選択したものです。


Copyright (C) 2002-2008 GENKIPOLITAN All rights reserved