やりがいとは何?

じぶんぢから再生プロジェクト ゲンキポリタン
株式会社マートワン

ブログ 愛ピDIRECT「ライフスキルで自分を動かす」は、ひとが健全に生きて行くために世界保健機構が定めた「ライフスキル」を仕事を通して身につける方法についてレポートしています。
「やりがい」を創造する力はライフスキルの獲得程度に影響します。たとえば目標設定スキルなどがそうです。
ライフスキルは、生きる力であり、技術です。
人は基本的な生きる構えの影響を受けていて、ひとによって不足、アンバランスがあるものです。ブログ 愛ピDIRECT「ライフスキルで自分を動かす」は、「ライフスキル」の不足を補いバランスを調整するために仕事、学業、人生の大事な場面などの機会を通して身につけることをめざしています

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【2】やりがいとは何?
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そもそも、やりがいとは何でしょうか?
やりがいは個人によって違う?
本当にそうでしょうか?

給料が安い、休みが少ない、忙しすぎる・・・・・
こういった問題はどんな会社でも気にしているものです。
働く人と雇用する側にズレはあるにしても、出来る限り解消したがっています。

でもこういった不満足要因を解決したから、やる気が起こるかというと実は起こりません。
不満足要因は放置できないことだけど、最大公約数的な改善しかできない。
なぜなら不満足のもとにある要因に絶対的な意味があるわけでなく、個人が意味付けしているにすぎないからです。
つまり百人いたら百通りの解釈がある。
だから皆無になることはない。

モチベーション理論で有名なF.ハーズバーグが提唱した「動機付けと衛生要因の理論」では、金銭や福利厚生、政策、マネジメント、対人関係、作業条件は職務への不満足要因になるが、満足要因にはなるわけではないと語られています。

満足要因となるのは、仕事の達成感、他者の認知・承認、責任(権限の委譲)、昇進、仕事そのもの等で、これらが満たされると満足感を覚えると言います。
但し、欠けていても職務に不満足を引き起こすわけではないとしています。


ある特定の要因が満たされると満足度が上がり、不足すると満足度が下がるというのではなくて、「満足」に関わる要因と「不満足」に関わる要因は別のものであることを発見したのです。

その結果からハーズバーグは満足要因を「動機付け要因」、不満足要因については不満足を予防する意味しか持たないという理由で「衛生要因」としました。
この結論は表現の仕方は違いますが、マズロー欲求段階説とも合致します。

つまり、やる気を出すには、満足要因を満たす必要があることになります。


しかし、それではいつまでも仕事の達成感、他者の認知・承認、責任(権限の委譲)、昇進などの欲求が満たされないと、やる気が起こらない。
やる気が起こらないから満足要因が満たされないということが起こってきます。
こうなると、卵が先か鶏が先かの問題と同じです。

しかし、ラチのあかないことをいくら考えても時間のムダです。
ぐるぐる循環しているわけですから、どこでもいいから回り続けている混乱に自分を投げ込んで解決するしかありません。

まず混乱の中で、行動を起こし達成に集中する
・・・そこから解決の糸口を発見し、順番に解決していく。
つまり、やる気がなくても目標達成に向かうのが出発点なのです。

まあ、だいたい普通の会社は、毎日こういう混沌の状態にあります。
やる気のある者もいれば、変わろうとして変われないひと、全然やる気が起こらないひとが混在している。


ところで、やりがいとはなんでしょうか?

すでに先にあげた不満足要因ではないことは確かです。
では仕事の達成感、他者の認知・承認、責任(権限の委譲)などの満足要因でしょうか?
それだってやりがいのひとつの側面に過ぎません。

人は自分の存在を価値あるものと思いたいものです。
それを求め続けて生きている動物です。
自分が価値ある者と思いたいがゆえに他者の承認が意味を持ちます。


目標達成すると、自分が自分にOKサインを送ります。
周囲の人もOKサインを送ってくれます。

しかし、他者の承認が意味を持ちすぎると、自分が自分の評価をできなくなります。

そうすると、自分の人生は他者が支配しているのかというような問題が起こります。
やりがいを持てないひとはずっとそのままやる気がないひとになります。
これでは、ひとは存在するだけで価値があるという自他肯定(自分も他者もOK)の理念から離れてしまいます。

ですから社会を見渡しても、自他肯定の構えで暮らしている方は驚くほど少ない。
これが、私たちの住む典型的な社会になっています。

しかし本当はそうであってはいけない。
そうではありませんね。そう思いたくないですね。

自分の人生は自分の選択と行動によって創造するものです。
自分が自分を承認しないと、自分の選択で行動することは出来なくなります。
やる気の源は良心と良識に立って、自分が自分にOKサインを出すことです。

そして、やりがいとは、満足要因、不満足要因を獲得することよりも、獲得するために励んでいるプロセスそのものなのです。

しかしプロセスは、なにか具体的な成果が出る以前の状態ですから、評価しにくいものです。
そのため他者の承認を得ることはできません。
自分でもどう認めていいのか分かりません。

たとえばファッションモデルが化粧を終え、ステージに立った状態。観客はため息をつきます。
しかし、メイク中である「ただいま制作中」は混沌としています。
料理でもなんでも同じです。
その混沌こそ素晴らしいと認める習性を私たちは身につけていません。
しかし、本当はその混沌こそ価値をもっているのです。

ビジネスシーンなら、今日の商談はうまくまとまらなかったけれど、自分は100%完全燃焼したぞ。
どこが悪かったのか具体的に反省(検証)して、もう一度対策立ててトライするぞ。
これがいい状態。・・・・自分を生かしている状態だからです。

今日の商談はうまくまとまったけれど、今日も自分は不完全燃焼だったな。疲れたな。
これが悪い状態。・・・・周囲に依存状態だからです。
しかし職場は学校ではありません。結果を出してこそ評価されます。

そこでやりがいにはもうひとつ欠かせない要素があることが発見できます。
「時間」です。

ひとの一生は有限です。
つまり自分の全知全能を傾けて時間内にやり遂げるように取り組むことこそやりがいそのものといえます。

そのもっとも分かりやすいかたちが「いま、この瞬間に持てる力のすべてを使って取り組む」ことです。

その仕事は「やりがいがない」という表現は正しいか、おかしいか。
どう思いますか。


(上海の街でライフスキルを考える)

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