やらされ感をやる気に変えるライフスキル。

ライフスキルはビジネスに強い影響を与えています。ですから企業は「いい人材」を採りたいと活動します。しかし、採用後、「いい人材」は必要な専門スキルの修得に熱心になるものの、ライフスキルのアップには関心が弱いようです。それはモチベーションアップと絡んでいますが、数多い要因が絡んだモチベーションの問題は、どうしても複雑になります。その前に「ライフスキル」に注目することがモチベーションの問題を改善する上でより効率的になります。


成果主義を標榜しているのに、結局は結果主義になり、やる気を追求している。そんなことはありませんか?成果主義がブームになり、自主的なモチベーションアップを求めたものの、失敗に終わった過去はありませんか?

「額に汗してがんばった人が報われる」という意識が日本の精神風土に宿っています。
これにノーを突きつけたのが信長ではないでしょうか?NHKの連続ドラマ「江」での明智光秀との葛藤が興味深いです。光秀の報告は事実だけの報告に留まらず感情的な言葉がつきまといます。信長はこれを嫌います。国会中継を見ていたらキレまくっているかも知れません。

ホントは信長も「額に汗してがんばった人」が好きなのですが、結果を出す上でそれが必然になるだけで、重要なのは成果を出したか、どうかです。

ところが光秀のような意識が罷り通ると、感情的な行動を認めることになる。ここが面白いですね。信長は感情的な行動が多いように見える人物ですが、実はすごく合理的な人物で、ドラマ「江」では繰り返す戦いも天下統一による平和のためということになっています。そんな信長にとって、常に感情的な発言が多い光秀はもっともイヤなタイプになるのも当然かと思います。

結果主義になってしまう会社には、光秀的な発想が充満している場合が少なくありそのことへの改善が必要だということから、成果主義大流行になったと思うのですが、それがなぜダメになるのでしょう。

成果を出すためにはモチベーションが高くないとできない。そこで尻を叩きまくるということが起こってくる。すると光秀式に感情的な表現が好まれるようになってくる。感情的な表現をされると、上司も自分に共感してくれていると錯覚して安心してしまうのです。

しかし結果を変えるには行動を変えない限り、天の恵みがある場合を除いて結果が変わることはないのです。

一時間多く働くことは、一時間多くがんばるという意味ではなく、一時間分、多くの成果を出すことです。逆に1時間少なく働くことは成果を維持しながら休むわけですから、よりいままで以上の成果を出すことに変わりはありません。ですから知恵と工夫がより多く求められます。1時間少なく働いて同じ成果を出せるスキルを持って、1時間多く働くようにすると、より多くの成果が出せます。仕事とは、この繰り返しで、質、量、そして人を大きく育てるものです。

ところが「がんばっているのを認めてくれ」という発想には、知恵と工夫をしてより多くの成果を出すという意味ではないのです。知恵と工夫は貢献度のアピールに使われてしまっているのです。やらん気、やれん気がやれる気、やる気にならないで、やらされている気になっていて、やる気に見せかける作業になっているのです。つまり外に向かず社会に向いていることを意味しています。

尻を叩けば叩くほど、やれん気はやらされている気になります。やらされているとは言えないので、知恵と工夫でポーズに走ります。やれる気に変えるには、やれる方法の発見こそ重要なのです。

それも教えていると言います。確かにそうかも知れません。しかしやれる気には「誰が」という問題がついて回ります。
「あなたにはやれそうと思えても、私にはやれそうにないのです。」という悩みがついて回ります。あなたと私が違うのは、やる気の問題ではなく、身に着けているライフスキルの違いがあるのです。仕事にとりかかる以前の問題、つまり「自律」とそれを支えている「ライフスキル」の問題があるのです。

やらされ感をやる気に変えるライフスキル。についてもっと深めたいと思いませんか?