親密な関係を育む

じぶんぢから再生プロジェクト ゲンキポリタン
株式会社マートワン
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【33】親密な関係を育む
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 効果的なコミュニケーションとは、私たちが暮らしている国の文化・社会の状況にふさわしい方法で、人間尊重の精神を基本に、自分自身の意見、二一ズ、願望、不安、恐怖も言語、非言語でもって表現することに他なりません。
相手の気持ちを尊重しながらも、自分の意見を伝える技術こそ、「ライフスキル」の中核であるコミュニケーション・スキルの柱です。



 コミュニケーションの目的は健全で親密な関係を育てることにあります。
それがライフスキルの重要なスキルにポジショニングされる理由は何でしょうか?
「親密になるかならないかはわたしの勝手でしょう」と思うかも知れません。
みんなと親密になったら気が休まることもない、ノイローゼになるのが関の山と思うかも知れません。
その通りです。
ですから、自分は自分、他者は他者という厳然たる境界があり、尊重するべきものなのです。
しかし、コミュニケーション・スキルがライフスキルの重要なスキルになっているのには理由があります。



● 自他肯定のスキル
「わたしはわたしのままでよし、あなたもあなたのままでよし」の人のあり方に影響しています。対等な関係、明確な境界は、すべての人間関係に好ましい影響を及ぼします。
肯定の向こう側には、見捨てられる不安と孤独が潜んでいますが、「あなたのままでOK」の心が、光を当て続けます。自他肯定の態度は克服に力を貸します。


● 共感するスキル
共有する時間、空間、共同体を大切しながら、互いの違いを認識し、尊重することを楽しむことで、気を許せる関係を育む。


● チームワークするスキル
自分の責任、自分の問題を自分が解決する、励ましを分かち合う。
共通の責任、共通の問題を分担して解決する。苦楽を分かち合う。
境界を大切にすることで、逆に悩みや相談もできる関係を育む。


● 励まし合うスキル
互いの成長を応援する。自分が頑張ることで励ましを送る対等な関係。
「君はひとりではない」というメッセージは、累積努力と成果のプロセスで勇気になる。


● 見捨てられ不安を解消するスキル
無力な幼児時代のすり込みからの脱却支援


● よりプライベートなスキル
その他、一緒に暮らすスキル、セクシュアリティなスキルなど、心と身体で分かち合うスキルがあります。より親密でリラックスするとともに深い感情を交流しながら、より私的な悩み、相談、励ましによって互いの人生を深めていきます。



スキルを育む効果的なコミュニケーションは、積極的自己表現によって可能になります。
まず自分の思いを言葉で表現することから始まります。
また必要に応じてアドバイスや助けを求めても問題ありません。

 コミュニケーションの基本は「あいさつ」です。
あいさつは「思い」です。
「わたしは元気です。あなたはいかがですか。今日も元気でがんばってくださいね。」という心にある思いを表現するものです。
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
その時間のタイミングとともに、心の微妙な変化が加わりますが、どの場合にも自分を尊重し、相手を尊重する心をこめています。



 一流の学歴を持って会社勤めしていても、「あいさつの仕方を知らない」という言葉をよく耳にします。
なかには「あいさつもしない」ということもあるようです。
しかし、当の本人は 、「いや、気持ち的にはそんなことはないのです」と行為とは裏腹の心情を持っているのが大半なようです。
相手をどうでもいいと考えているより、こんな時どんな態度をしたらいいのか、なんて言ったらいいのか・・・完璧を考えすぎて、ミスして笑われるくらいなら、どうせ儀式なんだから省略しても大事ないとして、あいさつしないほうが無難だと決め込んでいるひとが少なくない。
こういう結論に達してしまうのは、挨拶は儀式だと感覚的覚えてしまった人が増えているのかも知れません。
また、とってもウブというか純情というか、自分に注目してしすぎてしまう傾向が強い。
これもあいさつの本当を知らないまま形にとらわれるからです。



 あいさつの意味が分かっていたら、形にとらわれなくてもいいのです。
形は、より確実に伝えるための手段であって、思いが大事なのです。
このスキルはフランクな欧米人の方が優れているように思います。
真似するべき点は真似して、積極的によりよいコミュニケーションを実践するのがおとなの社会です。


そしてなにより、完璧を考えすぎてミスを怖れて行動しない態度が一番の問題です。
「できそうにない」を理由にして、自分の価値をどんどん引き下げる習慣が身についたらどうなるのでしょう。


挨拶は毎日のこと、しかも一日に何度もあることです。
一日に何度も自分の価値の値引きをしていたら、福袋の叩き売りみたいです。
自分の心が不良在庫の山になるものだから、他人のこころまで借りないと置き場がない。
相手構わず価値の値引きをしだしたらゴミがあふれたのと同じです。
こうしてわたしたちは、悪気もないままに、ちょっとした気配りをしないばかりに、ひとは価値あるものとするベクトルとは反対方向に突き進んでいるような気がします。

土足で他人の家に踏み込むような乱暴さで、自分だけでなく、勝手に他人まで価値の値引きをしている危うさがあいさつの問題に潜んでいます。
自分の感情や価値観と周りの人の感情や価値観を混同して、自分がこうだから、相手もこうかもと勝手な想像をして、行動をしてしまう見本の一部です。



 つまり自分は自分、他者は他者という自他境界があやふやなのです。
そのくせ、「他人は他人、私は私」と個人主義をぶち上げる。
一致していておかしくないと思われるかも知れないが、意味は全く反対。
前者は、自分への注目より他者を敬うことを形でなく自らの信条とする態度で、自分の価値を引き上げている。
後者は、他者を敬うより自分が大事を自らの信条とする態度で、自分の価値を引き下げている。
 その両者の違いの間に、自他ともに尊重する心が薄れて、「いまの自分にできる範囲でやりたいことをやってたらいいじゃないの」みたいなことが、当たり前の態度で居座っていることが問題なのです。
このような態度で、どうして成長するでしょうか、幸福になれるのでしょうか。
自分が傷ついて反省して成長するのだろうけれど、痛みばかり味わってどうするのということにもなるし、それだけで足りるのかというと追いつきません。



 親密な関係を育てるには、次の要素が欠かせません。

● 対等なギブ&テイク(ものや金銭の価値の対等ではありません)
● 対等に自分と相手への期待を表明できる
● 対等に分かち合える
● 対等に心おきなくオープンに話し合える
● 対等に成長し合える



▼ 逆に親密な関係を破壊する要素に以下のようなものがあります。

● 相手が距離をとると見捨てられる不安が起こる
● 境界が認められない
● 境界を感じると関係を破壊しょうとする
自傷行為でひきとめる
● 関係が壊れるようなことで、引き止めて、結局関係は壊れる(無常観、挫折感)
● 本当はまるごと受け入れてほしい


▼ 再生のためにとる態度、行動

● 自分しかできない
● 自分はどうしたいのか、意思表示をして、最善の方法をとる
● 自分を無意味に責めない、
● 健全な方法でストレスや悲しみの処理をする


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